現代哲学 名言 5選

Uncategorized

キルケゴール (1813〜1855 デンマーク🇩🇰の哲学者)

絶望は、死病に取り憑かれているものに似ている。このものは、そこに横たわりつつ死に瀕しているが、死ぬことはできないのである

キルケゴール 『死に至る病』より

キルケゴールは、絶望ができるということは、人間が歩行することができるということよりもずっと、人間の本質的部分を示していて、人間の優位性を表していると言った。そして、絶望は3種類に分類することができる。

①「弱さからくる絶望」‥絶望して、自分を持っていることを意識しない絶望。自分が絶望していることにさえ気づかない状態。このようなひとが現実世界にも多い気がする。

②「女の絶望」‥絶望して、自分自身であろうとしない絶望。「本来の自分自身」には興味がなく、「地上的なもの」つまり、財産、地位、名誉、ファッションなどに異常な重きを置く人。

③「男の絶望」‥絶望して、自分自身であろうと欲する絶望。

こうした絶望があっても死に至ることはできない。

本当に絶望している状態とは、死ぬことさえできない状態である。

マルクス (1818〜1883 ドイツ🇩🇪の哲学者)

疎外されているという一つの帰結は、人間からの人間の疎外である

マルクス 『経済学・哲学草稿』より

マルクスといえば、共産主義の思想で、20世紀に人や国の体制にもっとも大きな影響を与えた人物と言っても過言ではないだろう。

マルクスの出発点は、人間らしい生活を追い求めることであった。そこで生まれた言葉が「疎外」である。マルクスの「疎外」は3種類ある。

1つ目は、「労働の生産物からの疎外」

例えば、労働者が何らかの製品を作り上げたとして、その製品いわゆる労働による成果物は労働者のものではない。これが「労働の生産物からの疎外」ということ。

2つ目は、「生命からの疎外」

産業革命期の労働者は、恐ろしく低賃金で働かされており、生きていくので精一杯という賃金しかもらえなかった。こうなると人間らしい生活などもってのほかである。これが「生命を維持するだけの賃金」という「生命からの疎外」ということだ。

3つ目は、「類的存在からの疎外」

家族に愛を注ぎ、本を読んだり、趣味に没頭したり、友達と語らったりそんな人間らしい生活をす流ことができないような賃金しかもらえない。これが「類的存在からの疎外」である。

こうみると、今の現代においてもマルクスの思想は面白い部分がたくさんある気がする。

ニーチェ (1844〜1,900 ドイツ🇩🇪の哲学者)

これが人生だったのか。よし‼️それならば、もう一度

ニーチェ 『ツァラトゥストラはこう語った』より

誰でも落ち込むことはある。ニーチェの哲学は人生を肯定するような考え方がたくさんある。

自分の人生を肯定できるように生きることが、ニーチェのたどり着いた思想なのだ。これをニーチェは「永劫回帰』と呼んでいる。

ニーチェは何によって人生を肯定できると考えたのか❓それはこの一瞬一瞬を肯定することだと考えた。

人生や歴史はある意味、瞬間の連続であり、「偶然」に支配されている。この「瞬間」や「偶然」をょ肯定するのならばこの今は必然であるはずだ。

サルトル (1905〜1980 フランス🇫🇷の哲学者)

人間は自由であるように呪われている

サルトル 『存在と無』より

サルトルの自由は何をしてもいいという自由ではなく、自由から逃れられないという意味合いで使われている。

例えば、ある人が登山をして怪我をしたとする。それはその人自身の責任であるし、その人がやるかやらないかの判断を下すこともできた。どちらかを選ぶ自由が常にあり、絶えず選択し続けなければならない。

つまり人間はある種「選ぶ」という自由に拘束されていて、人は選択するように運命づけられていると考えた。

チャンスを逃すのも自由、生かすも自由このような自由の前に居続けなければならない。

ボーヴォワール (1908〜1986 フランス🇫🇷の哲学者)

人は女に生まれるのではない。女になるのだ

ボーヴォワール 『第二の性』

ボーヴォワールは女性の哲学者である。

「女になる」とはどういうことか❓

それは身体的特徴の違いだけにすぎないという。生まれてきた社会的な条件の中で女として成長させられていく。

親は「女の子らしくしなさい」「男らしくしなさい」と言って育てがちである。

こんなふうに親や世間が子供の性別をより強固なもにしているのだ。このように要求されて女になろうとしているというのがボーヴォワールの主張だ。

最後に

哲学者たちの思想に触れ、人間や社会における様々な問いに向き合うことは、深い洞察をもたらす。キルケゴールが語るように、絶望は死に瀕しているが死ぬことができない状態であり、その絶望は人間の本質的部分を反映していると言う。マルクスは疎外という概念を通じて、労働、生命、人間関係の面での異化を指摘し、その思想が今日でも考えるべき問題を提起していることが感じられる。

ニーチェは永劫回帰という概念を通じて、現在の瞬間を肯定し、人生の意味を見いだすことを提案する。サルトルの「人間は自由であるように呪われている」という言葉は、自由には選択と責任が伴うことを教えてくれる。そして、ボーヴォワールは性別の社会的構築に焦点を当て、女性が生まれつきではなく「女になる」プロセスによって社会における役割や期待が形成されていくことを指摘している。

これらの哲学者たちの考え方を通じて、私たちは自己と社会のあり方について考えさせられる。絶望や疎外、自由と責任、そして性別の概念が、今日の社会においても深く影響を与えていることを振り返り、より深い理解と対話が求められるのではなかろうか。哲学は過去の知恵だけでなく、未来を形成するための鍵でもある。今日の名言の旅はここまで。ではまた。ごきげんよう。さようなら。

コメント

タイトルとURLをコピーしました