ライプニッツ (1646〜1716 ドイツ🇩🇪の哲学者)
魂はもともと多くの概念や知識の諸原理を有し、
外界の対象が機会に応じてのみ、それらをよび起こす
ライプニッツ 『人間知性新論』 より
解釈としては、心はもともと真っ新で真っ白な状態ではなく、元々多くの概念や知識を備え持っておりそれらが外からの刺激に応じて、反応するようになっていると。
ライプニッツは、心🟰魂の中には、まだ言葉にはなっていないが色々な意識が元々存在していると考えた。
ルソー (1712〜1778 フランス🇫🇷の思想家)
人間は自由なものとして生まれた。しかるに、いたるところで鎖に繋がれている
ルソー 『社会契約論』 より
解釈としては、人間は本来自由な生き物として生まれた。しかし、現実は、至る所で自由を奪われ、奴隷と同じように鎖で繋がれているというような意味であろう。
ルソーが活躍した時代は、王侯貴族などが支配する社会でルソーはそのような時代に自由や平等を考え、後のフランス革命にも大きな影響を与えた。
ルソーが画期的とされていることは、「人間は本来、平等に生まれついてきている」と言ったことである。当時、アリストテレスの「人間は奴隷となるために生まれてきたものと主人となるために生まれてきたもの」がいるという考え方が一般的であった。ルソーは、人間は本来平等であり、不平等な社会は間違っていると考えた。
ルソーは、主権は王侯貴族などではなくて、人民にあるといっている。彼が国民主権である。これは当時の時代背景からすると画期的な考え方だった。
この名言は、不平等で正しくない社会に警笛を鳴らす意味で表現した名言である。
アダムスミス (1723〜1790 イギリス🇬🇧経済学者)
見えざる手に導かれて、自分では意図していなかった目的を推進するようになる
アダムスミス 『国富論』
解釈としては、各個人の自由競争に任せておけば、神の見えざる手に導かれて、個人だけでなく、社会にとっても、最も有利な資本の使い方をするようになるということだ。
皆さん「見えざる手」という言葉を一度は耳にしたことがあるのではなかろうか。
資本主義社会で、生産活動や利潤追求を各個人に自由に任せておけば、社会は自然に自然に繁栄していくということである。
この見えざる手は良くも悪くも様々な議論を呼び起こしている名言だ。
カント (1724〜1804 ドイツ🇩🇪の哲学者)
悟性の方は、規則によって教えることはできるが、しかし、判断力は一個独自の才能であって、側から教えられるというわけにはいかない
カント 『純粋理性批判』 より
解釈は、哲学は人に教えられものではない。哲学は、自分で考え学ぶもので、これまでの哲学書や教師は、自分の哲学を磨いていくためのナビゲーターでしかないというようなところであろうか。
つまり、自分の言葉で考え、自分の体験したことや自分の直感力で身につけていくしかないということであろう。
人間性を、いつでも、いかなる場合でも、同時に目的として使用し、決して単なる手段として使用してはならない
カント 『道徳形而上学原論』 より
カントは「人格を目的として扱い、手段として利用してはならない」とカントは考えた。
人を利用したり、利用されたりそんな関係を否定した。
要するにカントは、他人を道具扱いしてはいけないといっているのだ。
当たり前のことを言っているようで実践することは難しい。
最後に
これらの哲学者たちの思想は、人間と社会の相互作用、自由と平等の重要性、他者への尊重に焦点を当てている。これらの名言に深く思索することで調和を生む土台が築かれると言える。また次回の名言の旅をお楽しみに。ではごきげんよう。さようなら。
コメント