ナイチンゲールってどんな人❓
私はこんな人だったみたい!!!
- 1820年5月12日生まれ
- イギリス人だがイタリアで生まれる
- 栗色の艶々した髪
- 伏目がちな灰色の瞳
- 写真嫌い
- 小さいもの、弱いものに優しい
- 天使のような優しい心と鋼のような強い意志を持つ
今の病院や看護の基礎を作った人こそフローレンス・ナイチンゲール
早分かり ナイチンゲール
私の一生を簡単にまとめてみたわ!!!
1820年5月12日 イタリア🇮🇹もフィレンツェに生まれる
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16歳のとき 「神の声」を聞く
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17歳のとき 家族でヨーロッパへ馬車旅行に出かけ、たくさんの人に影響を受ける
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25歳のとき 看護師🏥になる決心を両親に伝える
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27歳のとき ローマへの旅に出て、一生の友人となるシドニー・ハーバートに出会う
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29歳のとき リチャードに結婚❤️を申し込まれるがお断りする
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31歳のとき ドイツ🇩🇪の病院で3ヶ月間、看護の勉強をする
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32歳のとき ロンドン🇬🇧の慈善病院🏥で働く
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34歳のとき クリミア戦争🔫で負傷した兵士の看護のため、看護師団を結成しスクタリへ行く
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36歳のとき イギリス🇬🇧に帰る
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39歳のとき 『看護覚え書』という本を書く
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40歳のとき ナイチンゲール看護学校🏫を作る
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87歳のとき イギリス国王から勲章が贈られる
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1910年8月13日 90歳で亡くなる
ナイチンゲールの家柄・家族
私の家族を紹介するわ!!!!
- ウィリアム・ナイチンゲール(父親)👨
穏やかな父親。広大な土地と莫大な財産を持っていた。フローレンスが戦場の病院へ行く際もたくさんのお金を持たせてくれた。
- ファイニー・ナイチンゲール(母親)👩
華やかで社交的な母親。友人が多く、パーティが好きであった。少しわがままなところもあり夫が設計して建てた家は、ロンドンから遠い、部屋が足りない、寒いといって気に入りませんでした。でも困っている人に対する思いやりの心は深かった。
- パーセノープ・ナイチンゲール(姉)👧
姉は、母に似てお客様とおしゃべりしたり、家事のお手伝いをすることが大好き。姉妹で全く性格が違った。
この当時、身分の高い女性は、広い知識を身につけても、それを生かして仕事に就くということはあまりなかった。年頃になると結婚して、家庭を守ることが幸せなことだと思われていた。フローレンス・ナイチンゲールのように、自分の進む道を自分自身で決め、家族の反対をも押し切ってやり通すのはとてつもなく勇気のいることだったのである。
フローレンスと家族の関係性
私のことを一番支えてくれたのあの人だったわ!!!
- 父👨
大変勉強好きであった父はフローレンスと姉の先生的存在であった。内気でおとなしい性格であったため、母とフローレンスの言い争いにもあまり口を出さなかったという。でも、最後にはいつもフローレンスの味方になってくれた。
- 母👩
母は、フローレンスを社交界にデビューさせ、立派な人と結婚させることを望んでいた。だから、看護師として働きたいというフローレンスの考えには強く反対した。
- 姉👧
姉はあまり勉強が好きではなく、父とフローレンスが仲良く勉強することにやきもちを焼いて意地悪することもあった。でも姉妹なのでお互いに大切に思っていた。
- メイおばさん👵
父の妹のメイおばさんはフローレンスが家族に内緒で数学を勉強するのを協力したり、戦争の時に一緒にスクタリに行き、フローレンスを助けたりした。家族より身近にフローレンスを助けてくれた存在。
フローレンスが「看護師として働きたい」と家族に話してから実際に働き始めるまでに6年もかかった。長い間、ずっと家族の反対と戦い続けたフローレンスは決して諦めない辛抱強さを身につけた。それは看護師として非常に役立つものであった。
ナイチンゲールが得意であったこととは❓
私は得意なことを存分に看護師という仕事に活かしたわ!!!!
①記録を取るのが癖だった→合理的に仕事をすることができた
フローレンスは、一生を通して多くの手紙や日記を記した。また、どんな些細なことでも細かくメモをとった。その癖が、後に人に報告したり、物事を分析する力にとても役立った。
②数学が得意だった→統計などの資料を作ることができた
数学が大好きで数学に熱中している時間は嫌なことが忘れられた。女性には必要ないとされていた学問だったが、物事を論理的に考える力が後に記録したものの統計をとったり、軍人を説得したりすることに役立った。
③本が好きだった→広く深い知識を持つことができた
あらゆる本を読み、フランス語やラテン語、ギリシャ語なども話すことができた。パーティにて有名な学者とディスカッションしてもフローレンスの方が博学で学者が気まずくなり逃げ出すほど、見識が深かった。
④意志が強かった→政治家や軍人の前でも怖気付かなかった
フローレンスは、病気で苦しむ人のために自分の寝る間も惜しんで優しく看病した。内気で恥ずかしがり屋な性格であったが、当時の軍の病院の惨状を変えるべく、軍隊の上層部の人と対立した時ははっきりと厳しく相手の悪い点を批判し、自分の意見を押し通した。
クリミア戦争🕊️とナイチンゲール
自分のやりたかったことができる!なんて幸せなんでしょう!寝不足で頭が痛いのも、疲れて足が痛いのも嬉しいぐらいだわ!!!
- クリミア戦争ってどんな戦争❓
ロシアが、クリミア半島に領土を拡大しようとして、1853年にトルコ🇹🇷と始めた戦争。次の年に、トルコを助けるという形でイギリス🇬🇧とフランス🇫🇷が戦争に加わった。この戦争は2年半続いた。
フローレンスが看護にあたった病院は、イギリス🇬🇧から遠く離れたトルコのスクタリにあった。
- 戦場で傷ついた人々は‥・
イギリス軍では水や食料やテント、薬などが足りなかった。汚れた水を飲んだ兵士がコレラに感染し、あっという間に伝染していった。多くの兵士が戦いではなく寒さや飢えや病気のせいで亡くなっていた。
フローレンスの活躍
看護師団が来る前と後では見違えるようにスクタリの病院は変わったわ!!
様々なものが不足していた戦地。フローレンスは自分のお金と募金とで必要なものを取り寄せ、200人もの人を雇い病院の改善に乗り出した。そのおかげで病院の環境が非常に良くなった。
改善前の病院は、元の怪我や病気が大したことがなくても病院に入ってからどんどん具合が悪化して行き死んでいく人がたくさんいた。しかし、改善後は清潔を心がけ、排水設備を整え、どの階からもお湯を出るようにした。
フローレンスの夜の見回りは、毎晩続いた。兵士は何千人もの人たちで歩く距離は6キロ以上にもなった。フローレンスの姿を見るだけで苦しみが和らぐといった兵士も大勢いた。
当時のイギリスの病院や看護師は今とは違いフローレンスは多くの努力をし、今の病院や看護の基礎を作り上げた。
看護師🌡️の変化
私は、病院の改善だけでなく、次は優秀な看護師を育てようとしたわ!!
当時の看護師は現在のイメージと大違いで、病院は惨めなところ、看護師は人々が嫌がる職業というイメージであった。当時看護師の多くは看病の専門知識などは無くただの手伝いという感じであった。
そこでフローレンスはナイチンゲール看護学校を設立した。フローレンスは、看護師という職業は本来人々に尊敬されるべき職業であると思っていた。そのためには、きちんと勉強をして訓練を受けた看護師をたくさん育成する必要があった。その後ナイチンゲール看護学校の卒業生はイギリス中の病院で師長になり海外でも活躍した。
ナイチンゲールが私たちの時代に残したもの
私が取り入れたもので今の現代にも残っているものがたくさんあるわ!
- ナースコール
患者さんの寝ているベッドのすぐそばのボタンを押せば、看護師がいる部屋でベルがなりどこの部屋の誰がボタンを押したかすぐわかるようになっているもの。
- 食事を運ぶリフト
配膳室から、病院の各階に食事を運ぶためのエレベーター。患者さんに早く食事を提供でき、看護師の負担を減らすことに役立っている。
- 看護師の制服
ナイチンゲール看護学校に入学した生徒は、茶色の制服と白い帽子とエプロンが渡された。看護師は清潔で、一目で看護師だとわかる服を着るべきだと考えた。
- 看護についての本
フローレンス自身の体験を基に『病院覚え書』『看護覚え書』などの著作を残した。病院の環境や看護について細かく書かれており、看護に携わる多くの人がこの本をお手本にした。一生を通して多くの著作を残した。
現代の病院にある施設、徹底した清潔さ、患者さんを思いやる心、諦めない心などフローレンスが残した物はたくさんある。
ナイチンゲールの残した名言
私の言葉を聞いてぜひ参考にしてみてね!!!
人の思いは、言葉に変わることで、無駄にされているように、私には思えるのです。それらは皆、結果をもたらす行動に、変わるべきものなのです
ナイチンゲール
単なる思考や感情を持つだけではなく、それを積極的な行動に変え、実際の成果に結びつけることの重要性を強調している。
女性よ自立しなさい。自分の足で立ちなさい
ナイチンゲール
この名言は女性に対して自立し、自らの力で生きることの重要性を訴えている。自己決定権や独自の価値観を大切にし、他者に左右されずに進んでいく姿勢を応援している。
どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶ事ができるのは、現場においてのみである
ナイチンゲール
この名言は学びと実践の結びつきを重要視し、仕事やスキルの習得においては実際の現場経験が不可欠であるという視点を提示している。
恐れを抱いた心では、何と小さいことしかできないことでしょう
ナイチンゲール
恐れを抱くことが行動を制限し、自己の可能性を狭める危険性を示唆している。心の状態が行動に与える影響を理解し、恐れに打ち勝って大胆な一歩を踏み出すことが重要である。
犠牲なき献身こそ真の奉仕である
ナイチンゲール
他者への奉仕が真の献身であるためには、自分自身を犠牲にすることなく行うことが重要であるとの立場を表している。無償の奉仕と倫理的な視点が、真の奉仕に不可欠な要素である。
最後に
フローレンス・ナイチンゲールの生涯と言葉からは、多くの価値ある教訓が得られる。彼女の言葉や行動から伝わるメッセージは、現代においても有益である。以下にまとめてみた。
- 行動への転換の重要性: 思いや感情を持つことだけでなく、それを積極的な行動に変えることが重要。結果をもたらす行動に変えることで、思いや考えが実りあるものになる。
- 自立と女性の力強さ: ナイチンゲールは女性に対して自立し、自分の足で立つことを奨励した。自らの力で生きる強さと自己決定権の重要性を強調している。
- 学びと実践の結びつき: どんな仕事であれ、理論だけでなく実際の現場で学ぶことが不可欠。経験を通じて得られる洞察やスキルは、理論だけでは得られない。
- 恐れの克服: 恐れや不安を抱くことが、可能性を制限する原因となる。恐れを乗り越え、大胆な一歩を踏み出すことが成長や成功への道を切り拓く鍵となる。
- 献身と奉仕の真髄: 犠牲を伴わない献身こそが真の奉仕であるという価値観は、他者への尽力が自分を犠牲にすることなく成り立つべきだとの重要な指針。
- 看護師としての革新: ナイチンゲールは看護師としてだけでなく、病院や看護学の分野においても革新的なアイデアを提唱した。彼女の努力は現代の医療の礎となっている。
ナイチンゲールの生涯からは勇気、知恵、奉仕の精神が伝わってくる。その遺産は現代においても私たちに多くの示唆を与えており、その価値を大切に受け継いでいくことが重要である。今回の名言の旅はいかがでしたか❓ごきげんよう。さようなら。
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